多頭飼育の私と仏教を考えてみた:猫15匹と“ニャ仏道”を歩く日々

多頭飼育の実践知識
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「この子たちとこれから先別れがあるなんて信じられないわ」

そんな風に何度も思ってきた。何度も別れを経験した。私は猫を15匹、完全室内飼いで今育てている。 気づけば、多頭飼育というカテゴリーに片足どころか、両足を突っ込んでいた。

スプレー行為に悩まされることもある。特にピンクヌちゃん。
(15匹の中で唯一スプレー行為をする1匹がいる)

フェロモンスプレーもトイレ配置も、獣医さんも何をやってもやっぱりトイレ以外でしてしまうことがある。お利口さんでトイレにしている時もある。 でもね、最近はこう思うようになった。

「スプレーをするピンクヌちゃんにも、魂の事情がある。 人間の常識で裁かず、ただ今日もトイレシートを的にセッティングする。それでいい。」


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仏陀は言った:「今」に生きよ、と

仏教における仏陀(ブッダ)は「悟りを開いた者」という意味。 釈迦が最初の仏陀だけれど、「私たちも悟りを開けば仏陀になれる」とされている。

でも、日々ピンクヌちゃんのスプレー行為に悩まされ、健康管理に頭を抱え、医療費とキャットフード代と猫砂代、物価高に震える私が仏陀? 無理でしょ、って思うじゃない?

でも、仏教の教えには、現代の多頭飼育にも通じる“智慧”があると最近思うようになった。


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執着しない。でも、愛さないわけじゃない

仏教では「執着こそ苦の原因」と言う。 だからといって、愛を手放せとは言っていない。

猫たちは私の家族。でも、私のものではない。 この命たちは、私の責任のもとにあるけれど、それぞれが“魂の旅”をしている存在。

「この子たちと、明日突然別れることになるかもしれない」 その不安で眠れなくなることも、もちろんある。 そして、実際に別れの日はやってきて、また大泣きするだろう。

それでも、仏陀の言葉を思い出す。

「過去はすでに過ぎ去った。未来はまだ来ていない。  私たちにあるのは、今この瞬間だけだ」

だから私は、今日も15匹分のご飯を用意し、トイレの猫砂を掘り返し、ピンクヌちゃんのスプレー対策にトイレシートの的を張り、 誰かが膝に来れば、ただそのぬくもりを感じる。


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「こうでなければ」に縛られると、苦しくなる

多頭飼育って聞くと、たいていこう言われる。

「大変そう」

「においがしそう」

「お金かかるでしょ?」

……うん、確かにそう。

でも、実際にはもう慣れてるし、「大変」というのがよく分からないでいる。

苦しみが生まれるのは、「こうでなければならない」という思いが強すぎるとき。

  • もっと片付いてなきゃダメ(→ルンバとブラーバにおまかせ)

  • お金が足りないのは私のせい(→それはまあ、そう)

  • この子がスプレーするのは私の失敗(→的にどうぞ当てて下さい)

そうやって“正解”に縛られれば縛られるほど、心は苦しくなる。


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ニャ仏道──猫とともに生きる、私だけの修行

猫たちは教えてくれる。

  • 「今、お腹すいた」

  • 「今、そこに座りたい」

  • 「今、撫でよ」

彼らは、“今”だけに生きている。

私も同じように、今日という1日を、1匹ずつの命とともに、丁寧に生きていきたい。

それがきっと、私にとっての「仏陀的な生き方」。

多頭飼育と仏教の教えが交差する場所。

それが、私の家であり、心であり、今日も生きる理由なのかもしれない。


▶追記:中谷百里さんの動画に背中を押されて

今日は、中谷百里さんのドキュメンタリー動画(フジテレビ「ザ・ノンフィクション」)を観ました。

犬や猫の命と真摯に向き合う中谷さんの姿勢に心を打たれ、「仏教的」な視点で文章を書いてみました🤣

🐾 【犬と猫の向こう側】2018年放送・オリジナルカット版

フジテレビドキュメンタリーチャンネルで配信中


💬 あなたにとって、“今を生きる”って、どんなことですか?