猫のサイトやSNSでは、
「名前」「性格」「過去の境遇」を丁寧に紹介することが、当たり前のように行われています。
それは確かに、読者にとって伝わりやすく、共感を得やすい方法です。
実際、名前をつけて物語を与えれば、
「かわいそう」「応援したい」「助けてあげたい」
そうした気持ちは、自然と集まりやすくなります。
それでも私は、自分の猫たちの名前を、積極的に公表していません。
名前を出さない理由は「商品化したくない」から
誤解のないように言えば、
私は元野良猫たちを、恥ずかしい存在だと思っているわけでも、
関心を集めたくないわけでもありません。
むしろ、その逆です。
名前を出し、背景を詳しく語ることで、
猫という「命」が、いつの間にか
同情を集めるための物語や、
消費されるコンテンツへと変わってしまう。
そのことに、私は強い違和感と怖さを感じています。
いろいろなコンテンツを見て、猫という商品が「お金を集めやすい」というのを気づいたときそう思うようになりました。
名前を公表するのに違和感を覚えるようになりました。
感情消費型の投稿は苦手になりました。
「共感」は、ときに無意識の圧力になる
名前がつくと、人は強く感情移入します。
それは優しさでもありますが、同時に、
- もっと頑張らせたい
- もっと可哀想であってほしい
- もっと感動的であってほしい
そんな期待を、無意識のうちに背負わせてしまうこともあります。
私は、猫たちに
「誰かの感情を満たす役割」
を背負わせたくありません。
彼らは、誰かの涙の材料ではなく、
ただ生きて、眠って、食べて、老いていく存在であってほしいのです。
距離を置くことも、ひとつの愛情
名前を伏せることは、冷たい行為に見えるかもしれません。
けれど私にとっては、
- 過度に美化しない
- 過剰に語らない
- 必要以上に物語を与えない
その「距離感」こそが、
猫の尊厳を守るための、私なりの愛情です。
支援や共感が集まりやすくなることよりも、
彼らが「ただの猫」でいられる時間を、私は大切にしたい。
そう考えています。
私には飼い猫の商品化はできなかった
正直に言えば、
名前を出したほうが、数字は伸びるでしょう。
反応も、評価も、「いいね」も、ずっと分かりやすくなります。
それでも私は、
自分の飼い猫を商品化することは、できませんでした。
このサイトは、
誰かの感情を強く揺さぶるための場所ではなく、
猫という存在と、静かに向き合うための場所でありたいのです。
最後に
あまり名前を出さないという選択が、
すべての人にとって正しいとは思っていません。
ただ、
「そういう距離の取り方もある」
ということを、ここに残しておきたかった。
2026年元旦。
私は今日も、猫たちと静かに暮らしています。
この小さな命たちが、穏やかでありますように。
