猫を15匹飼ってしまった──それは「優しさ」じゃなく「逃れられない痛覚」だった

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「猫を何匹飼っていますか?」

そう聞かれて「15匹です」と答えると、相手の反応は大体ふたつに分かれます。

  1. 「えっ、すごい!猫好きなんですね〜」というライトな賞賛。

  2. 「…ちょっとそれ、大丈夫?」という現実的な懸念。

どちらも表面的には正しい。

けれど、本当に伝えたいのは、そのどちらでもありません。


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なぜ15匹にもなったのか?「飼いたい」より「見過ごせない」が先に来た

私が猫を増やしていったのは、趣味や癒しではありません。

むしろ「本当は飼いたくなかった」のです。

  • ひとりが気楽

  • お金も時間も自分に使いたい

  • 別れの辛さに耐えられない

そんな気持ちが根底にありながら、

**“見過ごせなかった”**という理由だけで拾ってしまいました。

ボロボロの毛、流血、凍えた体。

それらに無関心ではいられなかったのは、

私自身が「この世界で見過ごされてきた存在」だったからだと思います。


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飼いすぎ? その通り。でもそれが「正気」だった

「15匹は飼いすぎ」と言われると、正直その通りだと思います。

でも私にとっては「それが唯一、正気でいられる方法」でした。

もし私がパリピだったら、猫なんて飼っていないでしょう。

猫なんかどうでもいいし、海外旅行に行き、毎晩飲み歩いていたかもしれません。

でも私はそうじゃなかった。

誰にも気づかれず、心を冷やして生きてきたからこそ、

「そこにある命の痛み」に無性に反応してしまったのです。


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今、猫とともに生きる

猫たちは私に癒しをくれる一方で、重責でもあります。

医療費、フード&猫砂&おやつ代、トイレ、掃除、鳴き声、吐き戻し……

とにかく掃除、掃除、掃除。

一日たりとも「ラクな日」はありません。

それでも猫は私の隣にいます。

私がしょうもない飼い主でも、猫は私を責めません。

黙って背中を向けて「撫でろ」と言っているのです。

不思議な存在です。


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結論

猫15匹飼っている私が言います。

猫はやっぱり多くても2~3匹くらいで十分だと思います🤣